僕は長文が書けない

自慢でありませんが、僕は長文が書けません。


ブログのネタが無いという人はニュースを分解、再構築ができない|ネタ作りのコツ - ホームページを作る人のネタ帳


いや、ブログのネタはいくらでもあるのですよ。ほんと。
現に今日だって、上記のエントリに触発されて「マイクロマネジメントに陥る5つのパターン」的なエントリを書こうと試行錯誤していたのですけど、どうにもこうにもまともな文章が仕上がらないのです。
とはいえ書けないものはどうしようもないので、「僕はなぜ長文が書けないのか」について考えてみたところ、

「主張の論拠になる例示が非常に苦手である」

ということに気付きましたので、それについて書きたいと思います。

僕は数年前からTwitterを使っておりまして、数多くのツイートを生産してきました。

その中である時気付いたことなのですが、140字程度の短い文章を公開していくような状況下では

「何かを主張しようというケースにおいて、主張の論拠を含めることは出来ないし、そもそも重要視されない」

のですよね。

例えば僕の以下のツイート。


https://twitter.com/#!/aquarla/status/176566228121432064


一言で言うと「Railsの設計思想が宗教っぽい」という内容なのですが、これをもしブログに書いて1エントリ仕上げようと思った場合、

  • RailsのルーティングがデフォルトでRESTfulだからどうみても宗教」
  • 「テーブル名がデフォルトでモデル名の複数形になるからどうみても宗教」
  • 「宗教っぽいこと自体が悪いとは思っていなくて、そもそもアプリケーションフレームワークというもの自体が『設計思想で縛って生産性を上げるためのツール』であるという認識を忘れてはならない」
  • 「ゆえに、フレームワークの思想に合わせて用途を検討していくことが、Railsを使う上での最善策である」

などなど、読者に納得してもらえるような具体例をいくつも並べ立てて初めて、一つのブログエントリとして成立するものと思っています。

一方Twitterの場合、上記のような論拠を並べようとすると、(Togetterのようなツールも別途あるといえばあるのですが)論拠と結論が必然的に別ツイートになってしまいます。
各ツイートはフォロワーのタイムライン上を、あたかも川の上を流れる落葉の如く、バラバラになって流れていきますから、連続してつぶやいたはずの「ツイートA」と「ツイートB」の両方がフォロワーに読まれるとは必ずしも限らない。ツイート数が増えればなおさらだし、フォロワー数が増えればよりなおさら。

また一方で、根拠もへったくれもないような「一発芸的ツイート」が大量のfavを獲得したりということも頻繁にあったりします。恐らく大量の短文が流れるTwitterのような環境では、主張に対して納得がいく例示が存在することは全く重要ではなく、むしろ例示がなくともその主張に対して同感出来る人がフォロワーとして集まり、お気に入りを付けていくと考えたほうが自然なのではないかなぁと思い始めています。逆に考えると「暗黙の了解がある仲間がフォロワーとして集まってきやすい」という環境なわけで、新しい視点が入ってくる余地があまり存在しない、というのは若干つまらないかもしれません。

話が少し反れましたがともかく、上記のRailsの例であれば、僕自身それなりの知識があるため、論拠を構築していくことはさほど難しいことではありませんが、それ以外の話、例えばエンジニアリングの話やらマネジメントの話やらとなってくると、それなりの例示を作り上げていくことは非常に難しくなっていきます。いや、その手の知識やら経験やらが全く無いわけではないのですが、


「話の引き出し」としての知識がない


という点は認めざるを得ません。別の言葉で言い換えると「誰かに教えられるような体系的な理解が出来ていない」。
面白いブログには、有名な本の引用や別の有名ブログの引用に対する体系的な考察など、一枚も二枚もレベルの高い知識が多く詰まってたりします。

例えば今の僕がマネジメントやら経営やらの本を読んだとしても、読んだこと自体で満足してしまっているというのは事実かもしれません。もしドラとか昔読みましたけど、今思い出してみても体系的な知識は何一つ身についていなかったりとか。

ともかく、数多くの名エントリを作り出しているようなブロガーの方々は、どのようにして論拠を構築しているのか、機会があればぜひとも伺ってみたいと考える今日この頃であります。知識の引き出しを増やすことが最優先かなぁ。

まとめ

  • 長文を書くためには「結論の論拠となる例」を挙げることが必要だが、僕は非常に苦手である
  • 論拠の例示が苦手なのは、体系的な知識が圧倒的に不足しているせいである
  • 結局のところベースとなる知識の下積みが必要な気がしてきている